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イオン液体はイオンのみからなる低融点の塩である。イオンには様々な機能を担持させることができるが,多くの場合,イオンが移動することにより,それらの機能が発現されるようになる。個々のイオンの自由度を高めるには2つの方法がある。イオン間には非常に強い力が働いているが,極性溶媒中ではイオン−双極子間相互作用が強くなるためイオン対間の静電相互作用力は弱まる。結果として,それぞれのイオンはお互いに弱い束縛を受けながらも,ほぼ自由に動くことができるようになる。これが第一の方法で,水溶液中で容易に起こることはよく知られている。イオン対間の相互作用力を弱める第二の方法は,塩を構成するイオンを大きくすることだ。有機物イオンを用いると電荷密度が下がるため,静電相互作用力は弱くなる。その結果,融点も下がることになり,ついには室温付近でも熔融した塩ができ上がる。これがイオン液体である。と言っても,イオンは大きければ良い訳ではなく,最適値があることに注意が必要である。前述の塩水溶液と比較し,揮発性の分子を含まない点が大きな特徴である。
有機物イオンからなる塩は多くの分野で活躍しているし,生体内も含め身近にも有機塩は多い。私が大学院生だった頃,ピリジンをアルキルハライドで四級化し,有機塩を種々合成していた。ある時,なかなか結晶化できない塩があったが,当時の私は「塩は固体に決まっている」と固く信じ,精製を繰り返していた。イオン半径が大きくなれば塩も低融点になり,常温で液体になることだってあるのだと,その時に閃いていたら私の人生は変わっていたかも知れない。いや,変わっていたはずだ。「常識」というフィルターを通して世の中を見ていると,新しいもの(こと)を見逃してしまいがちである。“discover”は覆っている「常識」などのcoverをdis-,即ち,外す,ことから始まるということを身をもって経験した。
イオン液体研究は2000年以降,急速に基礎研究が盛んになってきたことは周知の事実であるが,それに遅れることなく応用展開を目指した研究も年を追う毎に増えて行った。これはかなり特徴的な傾向で,イオン液体が様々な分野で利用可能な魅力的な材料であることを示している。それに伴い,いくつかの個性的な特性,例えば,蒸気圧がないので蒸発しない,常温で液体である,幅広い温度域で液状を保つ,イオンだけから構成されているのでイオン密度が高い,イオン伝導度が高い,などが全てのイオン液体に備わってはいないことも認知されてきた。むしろ,これらの特性を全て満たすイオン液体は無い。また,液体としては望ましくない欠点,例えば,粘性が高い,蒸留精製ができない,高価である,などもイオン液体の利用を躊躇させる一因である。しかし,欠点はいつまでも欠点であろうか?
今やイオン液体は多種多様な構造が報告されている。新規液体材料として,電気化学分野のみならず,医薬業界や宇宙産業まで幅広い分野での利用が期待され,物性測定から機能設計まで広く研究されている。イオン液体の持つ特徴を考慮し,化学工学分野での利用を検討する際,「○○という特性は欠点だ」と決めつけてしまい,新たな展開に通じる扉に気付くことなく通り過ぎてしまってはいないだろうか? 欠点が新しい発明に繋がった過去の例は枚挙に暇がない。また,常温で液体であることを意識しすぎて,“非加熱での利用”を必要条件にしていないだろうか? 室温では固体であるが,100℃以上で熔融する塩の利用法も多い。また,塩の純度を高める方向ばかりに注力してはいないだろうか? 含水系,あるいは積極的に水と混合させた系も面白い場を提供する。水と任意の混合比で均一溶液になるイオン液体では,混合比によっては自由水が存在せず,束縛水になった水分子しかない塩水溶液を作ることができる。この溶液は生体内環境と似ており,簡便に疑似生体内環境を作ることができる。目指している方向とは異なる所に目をやると,新しい世界が見えてくるかも知れない。
新物質を創ることのできる「化学」を基礎とする工学分野ならではの緻密な展開が次々と報告されてくることを願っている。従来の液体の常識を覆してきたイオン液体研究が次の新たなステージに入ってきたので,これらを使って「スーパー化学工学」が生まれ,発展することを期待する。
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