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1995年10月兵庫県宝塚市,震災の傷も癒えぬ間に私は生まれた。私たちは文字通り被災地の希望であった。それからなんだかんだで,博士学生として,化学工学,特に熱に関する研究をおこなっている。私がこの原稿を書いているのは2021年3月,東日本大震災からちょうど10年。震災をルーツに持つものとしてこの時勢を見逃すことはできなかった。本稿の趣旨とはずれているかもしれない。だが,これが紛れもない私の「声」である。 2011年3月11日,その日は中学校の卒業式であった。下校後寄った学習塾から帰った後,自宅のTVを見て愕然とした。津波に飲み込まれる家屋,燃えているガスタンク。翌日には原発の建屋が爆発した。まるで映画の世界だ。それから日常が狂ったような気がした。 自分の選択は常に後ろ向きの理由に支えられている。進路として理系を選んだことだって,自分自身には何をする力もないと信じていたためだ。研究の世界なら私のような社会不適合者でもかろうじて生きていけるのではないだろうか,などと失礼なことを考えていた。環境やエネルギーについて学びたいと思ったのも,自己肯定感の低さが理由だ。あの事故が頭の片隅にあった。 私の進学先は神戸大...
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